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真田幸村から変革を考察する

作成者: 野村泰一|2026/07/14 1:00:00

今日は大坂の陣の最大のヒーローである真田幸村について考えてみたいと思います。
豊臣秀吉が築城した大阪城は天然の要害であった石山の地に更に堀などを施した難攻不落の堅城でした。ただ、唯一の弱点があるとすれば、天然の地形をそのまま利用している城の南側でした。大阪冬の陣で幸村は徳川方の大軍勢を迎えるにあたり、この地に要塞を作り、弱点を克服しようと考えました。それは周囲1200mという大規模なもので、後世“真田丸”と呼ばれています。徳川方の犠牲者の8割はこの真田丸によるものという記録がそのされていますが、幸村はその要塞にこもって守勢戦をひたすら演じていたわけではありません。その真田丸を最大限に活用できる武器の開発と戦術を編み出しているのです。

まず、幸村は真田丸の矢倉に銃身が通常よりも長い銃を設置しました。銃身が長いことで命中精度が上がり、威力のある銃弾を撃つことが可能だからです。さらに、矢倉は上下に複数の撃ち手を配し死角をなくす構造としました。つまり、弱点を長所に変え、その長所を活かすためのいくつかの工夫をする。イノベーションの連鎖を実践していたのです。

さて、データ基盤を整備すれば、それでいいかと言えば、それはNoです。データを分析したり、業務プロセスの変革を基盤を起点に進めるなど、データ活用して初めて意味ある行動となります。さらにそのアクションによって生まれた新たなデータを取り込んで二次的なデザインをするなど変革の連鎖をすることが大切だと思います。

話を400年前に戻します。大阪冬の陣の講和条件により大阪城の堀がすべて埋められてしまいました。真田丸もなくなった翌年の夏の陣では、幸村は一転して攻めの戦を展開します。そして、今度は全長が59cm足らずの馬上宿許銃(しゅくしゃじゅう)を開発しました。この銃は従来の火縄銃と比較して5倍以上の連射性能を持つが特徴で、その名の通り馬上からも銃撃可能なものでした。幸村の果敢な突撃に、敵の総大将家康は2度も切腹を覚悟したといわれています。結果として幸村の大志は宿許銃を取り落すなどの不運があり、夢と終わりましたが、その姿勢は多くの人たちに勇気と希望を与えています。私たちを取り巻く環境は目まぐるしく変わります。私たちも一つの成功体験に執着せず、常に状況を分析して必要なアクションを起こした幸村のような行動が必要です。データ総研では来る7月23日に「データ基盤から成果を生み出すためのビジネスデザインセミナー」を開催いたします。一緒に考えてみませんか。

 

データ基盤から成果を生み出すためのビジネスデザインセミナー

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データ基盤を「コストセンター」から「プロフィットセンター」へと変革したいと願う、すべてのDX・データマネジメント推進者必修の内容です。